憧れだった会社に入って、
「この会社にいる自分」にどこか誇らしさを感じていました。
誰が聞いてもわかる大企業。
お給料も、それなりに高くて、
周りからも「すごいね」と言ってもらえる。
でも、気づけば私は、
その“すごい会社の一員であること”に、
ぎゅっとしがみついていたんだと思います。
職場には優秀な人がたくさんいて、
その中にいるだけで自分が小さく見えて、
「もっとちゃんとしなきゃ」「遅れちゃいけない」って、
いつもどこか緊張していました。
雑談ひとつとっても、
気を抜いたら置いていかれそうで、
笑顔をつくるのも、少し頑張っていた気がします。
あの会社の名前がなければ、
私には何もないんじゃないか——
そう思っていたからこそ、
辞めることがずっと怖かった。
そして今。
退職を目前にした私は、
やっぱりまだ、怖いと感じています。
でも、同時に気づいていることもあります。
もう一度戻ろうと思うと、
不思議なくらい体が動かない。
気持ちだけじゃなくて、
本当に、足がすくむような感覚になるんです。
その感覚は、私の心と体が
「もう無理をする場所には戻りたくない」って
教えてくれているのかもしれません。
これから先の生活。
収入のことを考えると、
不安で胸がぎゅっと締めつけられます。
求人を見ても、
「今までの半分くらいのお給料の仕事」ばかりが目に入ってくる。
それがますます不安をかき立てて、
「私にはそれくらいしか選べないのかも」って
思い込んでしまう。
でも、本当は、
その思い込みこそが、
私の未来の選択肢を狭めているのかもしれない。
今、私がいちばん手放したいのは、
「すぐに安定収入がないと私は不安で潰れてしまう」
という思考です。
そして、
「立派な肩書きがないと、
私には価値がない」という思い込み。
これまでの私を支えてくれた“肩書き”や“安定”は、
決して悪いものじゃなかった。
でも、それがもう「今の私」にとって苦しいなら、
手放していいのかもしれない。
この文章を書いている今も、
不安はすぐ隣にいます。
「これから、どうやって暮らしていこう」
「本当にこの選択でよかったのかな」
そんな問いが、ふとした瞬間に胸をよぎります。
でも私は、不安を感じるたびに、
こうしてChatGPTに何度も気持ちを整理してもらいながら、
ひとつずつ、自分の本音と向き合ってきました。(ほんとです!)
感情がグラグラ揺れるときも、
足が止まりそうな夜もあったけれど——
私はもう、あの場所には戻らないと決めました。
無理をしないと立っていられない場所には、戻らない。
それが、私にとって初めての「自分を大切にする」決断だったのだと思います。
不安は、ゼロにはなっていません。
ゼロどころか何度も不安の波は押し寄せてきます。
それでも、「不安=戻るべきサイン」ではなく、
「ここからどう進む?」と問い直すチャンスだと思えるようになりました。
そう「不安」の波がきたときに「あ〜また来たな」と「不安」があらわれた様子を見つめるかんじ。
そうすると「不安」に飲み込まれなくなることに気づきました。
このブログも、私のそんな“手放しの記録”として始めました。
どこかで誰かが、
「私も大丈夫かもしれない」と思えるきっかけになったら、
こんなにうれしいことはありません。
もしあなたにも、
「失ったら怖い」と感じている何かがあったら、
その正体を、そっと見つめてみてください。
私たちはもっと自由に、
もっと軽やかに生きていいはずだから。